①支援はほんとうに「いいね!」なの!?
2016年1月1日
アフリカに関心を持つようになって疑問に思うのは、長年に渡って巨額のお金がつぎ込まれながら、なぜいまだにアフリカの状況が良くならないのかということ。
かれらが経済的自立と政治的安定を得られない原因の一端は、じつは先進国からの「援助」にあるのではないでしょうか。
ロックスターやハリウッドスターがステータスの証として莫大な寄付をする、先進諸国も当然の義務として国家レベルの支援を継続的にする。世界銀行という国際機関がおもにそれを仕切っているのですが、どうも原油価格の変動や通貨のだぶつきなどの先進国側の事情によりお金が流れているようです。
支援の多くは融資という形でアフリカに渡りますが、受ける方はもともとあまり返済をするつもりはないようです。ずっとそれでなんとかなってきたからでしょう。政治家はチャーター機でヨーロッパ旅行に行き、BMWを買い、政府がインフラ整備に投資すれば、結局はまた先進国にお金が戻ってくるのです。
援助によって、賄賂が横行し、政治が腐敗。貧富の差は広がり、民間の投資意欲を減退させ、ますます援助に依存するという負のスパイラルです。援助は災害だと言うひともいます。
自然災害や戦争などの緊急事態のとき、自国のシステムが復旧するまでの一時的な支援は絶対に必要なものですが、システム自体がない国への恒常的な支援は別ものだと思います。
「貧しい村にノートと鉛筆を贈ったら子どもたちが喜んでくれたよ、わーい、みんなもっと寄付しよう!」
これって、ほんとうに「いいね!」ですか!?
自立ではなく、いつまでも施しを受け続けるしかない仕組み。かれらはまた誰かが来て、何かをくれるのを待つしかないんでしょうか。
「井戸を掘って、女性や子どもたちを重労働の水汲みから解放しよう!」
「きれいな水で病気を減らそう!」
こういうのはわかりやすいので補助金がでます。でも、一度掘った井戸をメンテナンスしてもお金にならないので、プロジェクト一行はまたどこかに移動して新しい井戸を掘ります。修理の必要な井戸は放置され、水汲みが復活。とても役立つ大切な活動ですが、そういう一面もあるということです(なぜかれらは自力でそれをできるようにならないんでしょう。不思議ですね)。
支援する側の多くも国際機関やNPOなどの仕事で給料を貰ってやっているのです。ボランティアって無給なわけではありませんよ。理想や志があって赴任し、大変な事業に取り組んでいるのでしょうが、起業については素人です。現地職員にいたっては国家公務員並みの待遇だそうですから、採用されたらもう安泰で、支援が必要なくなっては困るでしょう。
"善意あふれる支援" には、いろいろ課題もあるようです。
参考:
「ブルー・セーター」ジャクリーン・ノヴォグラッツ著 英治出版2010
「援助じゃアフリカは発展しない」ダンビサ・モヨ著 東洋経済新報社 2010
「傲慢な援助」ウィリアム・イースタリー 東洋経済新報社 2009
「チョコレートの真実」キャロル・オフ著 英治出版2007 / ほか
Poverty, Inc.