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②援助ではなくビジネス
日本だってほんの少し前までトイレは臭かったし、ハエもいたし、だれもが学校に行かれたわけではありません。小さい子供も働き手で、飢えている人もたくさんいたでしょう。それを自分たちでなんとかしてきたのです。
こんなふうにすべてが抗菌加工されていて、生き物ではないみたいに無臭で清潔で、30歳までニートでも生きていかれるようになったのは、つい最近のことです。これが本当にしあわせで正しいことなのかはわかりません。
でも一度経験してしまうと、快適な暮らしが当たり前となり、なかなか後戻りはできないものです。だから後進国といわれる国に行くと、こんな暮らしをしているかれらはかわいそう、なんとかしてあげなくちゃ、と思ってしまうのかもしれません。
ほんとうにそうでしょうか。もともとかれらは長い歴史の中で受け継がれた暮らしをしていたわけで、それは不幸なことではなく、人間も自然の一部として、当たり前だったはずです。
だって、先進国ではみんなストレスを溜め、田舎暮らしやアウトドアライフに癒しを求めているではありませんか。一生懸命働いて、成功者となって果たしたい夢は、「自然のある暖かいところでのんびり暮らす」とかね。
そもそも、いまある途上国の深刻な問題の多くは先進国がもたらしたものです。じゃあもうみんな撤退してしまえばいいんじゃないかと思っても、ここまで介入してしまうと、いまさらそうもいかないんでしょう。
だったら、せめてかれらがいつまでも施しを受ける身ではなく、自立に向けた取り組みができないものでしょうか。
女性たちにカゴや小物を手作りしてもらい先進国でフェアトレードと称して売る(おもにNPOの職員などがお土産として自国に買って帰るみたいです)。
「現地女性に日当が払えました、良かったねー、プロジェクト成功!」
でも、プロジェクトが終わって一行が帰国すると、残ったのはカゴの在庫の山。商品を売って得た金額より補助金の額の方が多かった、というのはよくあることのようです。
素朴な手作りの商品をそこそこの値段で買えば現地女性にお金が入ります、このコーヒーを1杯飲めば貧しい人が救えます、ではなく(みんなほんとにそれを信じてるの?)、「それが欲しいから買う」というのが、本来のビジネスです。
はじめは支援が必要かもしれないけれど、そのあとかれら自身で自立して継続できるビジネス、大きな資本が介入しない仕組みをどうすれば作ることができるのでしょうか。
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